2013年3月28日木曜日

島田荘司講演「ミステリー史と、WHATDUNIT」(成蹊ミステリフォーラム 2)

(※前の日記の続きです)
「成蹊ミステリ・フォーラム」、3時間あまりの講義、発表が終わるとようやくまとまった休憩が。
受付には数十年前の「幻影城」や「エラリークイーン・ミステリマガジン」が大量に並び、「ダブってるからご自由にお持ちください(意訳)」と言う驚くべき状況。ありがたく1975年の幻影城を1冊いただきました…。



さて本日のメインイベント、
島田荘司先生による講演「ミステリー史とWHATDUNIT」です。
「メフィストに掲載する長編(御手洗もの)を20数日で300枚書いてます」という近況報告から始まり、

「成蹊大学にはミステリ研が無いんですね。…これはよくないことだと思います(会場笑)」
「アニメ、漫画に次いでアジアに進出を果たしつつある本格ミステリ。首相を出している大学がそれを考えたり、実作をサポートするサークルがないと言うのは、具合がよろしくないんじゃないかと思って、ミステリ研を立ち上げてくれないかと言うお願いに参りました」
と、冗談交じりではありますがいきなり学長さんにプレッシャーをかけます。
首相は関係ないとしか言いようがありませんね(笑)


かつて京大ミステリ研からデビューした作家が「アマチュアだからこそ一線に躍り出てリードした」華々しい活躍をした歴史を踏まえ、今まであまり語られる事のなかった(そうかなぁ?)「なぜ活躍できたか?彼らのやったことはどういうものであったか?」について島田先生の口から語られました。
以下は私の主観による講演内容のまとめです。

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・本格ミステリとは?
「本格」は日本発の定義。命名者は甲賀三郎(「推理小説」なども命名。命名の天才)
が、定義はしてみたものの、議論は「探偵小説は芸術足りえるか?」に進んでしまい、本格の定義に関してはあいまいなまま時代が進んでしまい、「私が占星術殺人事件でデビューする時もまだあいまいでした」と言う状況に。


・本格の原典
議論が色々あったが「モルグ街の殺人」に決定。
この時代に科学革命がヨーロッパに起こっており、犯罪捜査も科学捜査へ。
「モルグ街の殺人」はそれをすべて反映させて書かれている。

指紋、血液、微物の収集。これらは現在では当たり前のことだったが、1841年当時はすべて最新の科学であり、もう一つ、その警察権力を監視するための陪審員。こういった新しい社会のありようがすべて作品に反映されている。
すなわち「読者は陪審員である」。こういった意味合いもこの作品にはあるように、こんにちの視点からは見える。

もう一点非常に重要な事。「モルグ街の殺人」は殺人事件ではない
殺人事件とは「人間が人間を殺すもの」であり、モルグ街はそうではない、人間が殺してはいない。。これは何を意味するか?というと、ポーは必ずしも「殺人を描くこと」が本格ミステリーの条件とは考えていなかった。
そうであるとすればそれは「ヴァン・ダイン以降」。ポーは殺人よりも「恐怖を伴う幽霊現象」をミステリーとして描くことを優先に考えていた。これを考えるのは「ヴァン・ダイン主義」というようなものがやりつくされた現在において大事なことではないか?


・ヴァン・ダイン
1920年代アメリカに出現した作家「ヴァン・ダイン」によってミステリーと言う文芸ジャンルがコペルニクス的変貌を遂げ、「殺人を専門的に描く」文芸となる。
彼は世界の本格創作史上重要な人物であり、「本格史上もっとも重要な人物は?」と問われるならば「綾辻行人さんなら間違いなくヴァン・ダインだと言うと思うんですね」ミステリの技法を一段進めた、民主化を進めた作家。
ポーがいなければドイルは現われなかったが、ヴァン・ダインがいなければ綾辻行人はおそらく現われなかった。少なくとも、「館物」としてではなくホラー作家だった。
そうであれば、大学のミステリ研が牽引役となった「新本格ムーブメント」は起こらなかったかもしれない。そのくらい重要な作家。


・ポーとヴァン・ダイン
「1人が書ける傑作は6作が限度」および、本格条件の提示(ヴァン・ダインの二十則
これに即すと、「『モルグ街の殺人』は本格ではない」ということになる。
ポーとヴァン・ダインは全く違う目的でミステリを書いていた。(違う目的を持った読者をミステリに引き込もうとしていた)

フーダニット→犯人は誰か?
ハウダニット →どうやったのか?
ホワイダニット→なぜやったのか?

ミステリの文化はヴァン・ダインの時代にはすでに80年を経過し熟成しており、読者は何が起こるか熟知していた。一方、ポーの時代にはこの種の体験は全くなく、どのような事が起こるか皆目見当もつかず、このような読者にとってはフーダニットもハウもホワイもなく、この小説自体が何であるのか?すなわち読者にとっては「ホワットダニット(何がおきたのか?)」であり、すれっからしたようなヴァン・ダインとは全く驚きの種類が違う。
このように、ポーとヴァン・ダインとは水と油くらいに異なった方向を向いた書き手であるが、この2人がいなければ日本での本格ミステリの隆盛はなかった。


・ヴァン・ダインの流儀
現在の本格ミステリの書き手には、2つのスタートラインがある(ポー流、ヴァン・ダイン流)。
将来性はポーの流儀にあるのではないか。ヴァンダインの流儀は極めて理解され、やりつくされた感がある。

ヴァン・ダインの流儀→殺人犯罪のゲーム化(恋愛やオカルトは興味がそちらに行って純粋さが損なわれるので止める)

海外ミステリでの最大傑作「Yの悲劇」日本ミステリでの最大傑作「獄門島」も、この提案を受けて書かれている…ように見える。しかし興味深い事に「最新科学」という、ポーやドイルの時代では最重要視されたファクターがこの提案からはすっぽり抜け落ちている。

ヴァン・ダインの登場以前と以降ではミステリー創作の目指すところが大きく変化。
目指すべきところ、気をつけるところが明確化し、文学的な才がなくても大勢の創作者が参加しやすくなった。
謎解きゲームに徹底する事を読み手との相互了解にすることによって、高効率化し黄金時代が到来。一方、条件の厳しい限定によって後進の作家が先人の業績を乗り越えにくくなった。


・日本の文壇
物理的、言語的に遠いので、ヴァン・ダインの影響は少なく、もっぱら乱歩の影響が大きかった。
当時の東京には欧州流の科学革命はまだ起こっておらず、欧米型の本格がスタートする土壌がなかった。ゆえに乱歩は次第に江戸風の見世物小屋のケレンに依存することとなり、これを期待する読者に買われる本を書く。という呪縛から日本の作家はなかなか抜け出る事ができなかった。
しだいにエログロの暴走が始まり、純文系の作家から軽蔑されていくことになる。

1950年代になって、自然主義文学の影響を強く受けた松本清張が出現(人が殺される小説だが文学的)
自然主義のため「館」「名探偵」などの人工的手法(ヴァン・ダイン路線)は否定。リアリズム。
清張小説はベストセラーを重ね、文学的でもあったため「進歩向上を果たした」と純文学方面からも賞賛を受け、結果、清張的なものが文壇を席巻し、乱歩風やヴァン・ダイン風も追放の憂き目になる「清張の呪縛」が起こった。


・綾辻行人の出現
大学のミステリ研が、日本にヴァン・ダインの流儀を持ち込んで大々的に創作を開始。

綾辻行人の戦略→人物記号化表現
人物の風貌や言動上の個性を描かないことによって、様々なやっかいな表現から解放される。
こうした方法の発見によって、英米に70年遅れてヴァン・ダイン型の本格ミステリが書けることとなった。
綾辻氏が「十角館の殺人」でデビューした時の「人間が書けていない」といった批判があったが、「個性を描かないことによって犯人を隠蔽する」ところに新しさがあったわけで、こういった批判は根本的に誤っている。

かつて松本清張が高木彬光らを指して「彼らの小説には人間がいない」と入ったが、綾辻小説はそこを逆手にとって、人間でなく記号を会話させることによって完全に犯人の隠蔽を果たした。
ところが評論家は、清張の定型構文をうかつに使って批判し恥をかいた。

この背景には、京大ミステリ研による「犯人当てゲーム」がある。
朗読による発表のため美文はむしろ邪魔であり、文章は別の機能を持ってくる。
結果、叙述トリックのもつ無限の可能性を探り当て、日本でもヴァン・ダイン流の本格ミステリ導入を可能にした。
「ヴァン・ダインのゲーム志向を発展させ、記号化による叙述トリックをあみだし、改革を推し進めた」ことが大学ミステリ研の功績。
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「ミステリ研の先達の功績があまり語られる事がないので、大学のこの場をお借りして話させていただきました」と締め。
「ミステリ研の功績」というより、「綾辻行人の功績」という気もしますが…(笑)

質問コーナーでは、執筆中の次回作(福山を舞台にした御手洗もの)や自身の考える本格の条件(『精緻な論理』さえあればそれは本格と呼べる)など、なかなか興味深い応対が繰り広げられました。

「これからデビューする人は『ヴァン・ダインの本格』はやりつくされたので『ポーの本格(ホワイダニット)』を書くべき」。と言う発言に関しては、かつて「本格ミステリー宣言」での「『本格推理』は傑作が多数あるので、まだ作品の少ない『本格ミステリー』を書くべきだ」という主張を思い出します。
ずっと一貫性のある主張、提言をなさっておられるのだなぁ~。

そしてやはり締めには「皆さん、ミステリーを書きましょう」的な話になるのも島田先生のお約束(笑)


長丁場ではありましたが、このような充実した貴重な機会を設けてくださった成蹊大学さまに感謝。
なにより無料だったのが嬉しいですね(笑)